おいしくお味噌を食べて、体の中から健康に!

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災害直後は温ったかいものが食べたい!

今年(2015年)の1月17日で阪神淡路大震災から30年目を迎える。昨年は元旦に能登半島地震が発生。輪島では火災が起こり、朝市が行われていた地域は壊滅。その他、珠洲や能登半島の町々でも家屋が倒壊し、元日からそのニュースがひっきりなしに流れ、正月気分を一変させた。戦後80年_、この間に震度6以上の地震の9割が阪神淡路大震災後に起こっているらしい。まさに日本は地震列島なのだ。

阪神淡路大震災1.17

1995年1月17日午前5時46分に淡路島北部を震源とするマグニチュード7.3の地震が発生した。揺れたのは、たった10秒らしい。その時、私は明石にある自宅で睡眠をとっていた。いや厳密には寝かけていたと言うべきであろう。多分、5時40分過ぎに小用に起き、それを済ますとベッドに寝転がった。すると、少したってまどろみ始めた頃、経験した事がない大きな揺れが襲ったのである。まるで怪獣に家を持ち上げられ、振り回されたような感じだった。その時、これでもう終わりだ、死んでしまうと思った。ただただ神に祈るしか術がなかったのである。揺れはたった10秒らしかったが、物凄く長いように感じたのだ。震災後に色んな人に話を聞くと、なぜか地震発生前に目覚めたという話が多い。ある人は、窓越しの空がピカッと光り、一瞬明るくなってから揺れが来たという。淡路島で仕事に向かおうと、自転車を漕いでいた伯父は、地震の衝撃で自転車ごと飛ばされたと話していた。芦屋のマンションに住む友人は、建物自体は大丈夫だったが、揺れが引いてしばらくたって外を歩いた時にあの阪神高速道路が倒れていてびっくりしたと言っていた。阪神地区では、下町に被害が集中。家屋の倒壊は勿論の事、食べ物さえ手に入らなかった。毎日市場で買物をする_、そんな下町の習慣が喰い物不足を招いたと当時、下町に住む両親の周りでは分析されていたようだ。何はともあれ、あの10秒間の出来事が色んな人の人生を狂わせたのだ。

阪神淡路大震災は、ボランティア元年といわれている。多くのボランティアが全国各地から駆けつけてくれ、家の片づけから食事面の世話まで助けてくれた。今でこそその教訓もあって炊き出し等は、震災後わりと早くに行われるようだが、その頃はそんなノウハウもなく、喰うや喰わずの日々が何日かあった。潰れなかった家の冷蔵庫から食物を取り出してもらい、周りの人達に分け与え、それを口に入れる事で飢えを凌いでいたように思う。困ったのは水が出ない事で、火も使えない為に調理ができなかった。非常時用のカップラーメンは何ら役に立たなかったのだ。
しばらくすると、色んな人達が食べるものを持って来てくれた。普段なら車で30分もすれば来られる所からでも何時間もかかって被災地に到着したようだ。大阪にいる仕事仲間は、おぼろげに頭に残る住所の記憶を頼りにペットボトルをいくつも積んで自転車で私の実家へ届けてくれた。まさに人との繋がりは大事だと実感した瞬間だった。やがて避難所に落ち着きが出てくると、他地域の人達がやって来て炊き出しを行ってくれた。温かいものを口に入れると、何となく心が落ち着いたようだった。日本には古くから助け合いの文化が根づいている。ちなみに村八分とは、村社会の中で掟や慣習を破った者に課される制限行為で、それとて葬式の世話と火事の消化活動は、残りの二分に該当させる。つまり災害時は村八分を受けている人さえ、助けなければならないとの決まりである。こんな助け合い精神こそが災害時には発揮される。それが日本のいい所でもある。

阪神淡路大震災1.17炊き出し

 

炊き出し豚汁

ちなみに炊き出しでの定番といえば、まずおでんを思い浮かべる(正しくは関東煮という。この語源については第10回のこのコーナーを参照)。今のおでんが普及したのは、関東大震災直後の炊き出しである。本来、おでんとは味噌田楽を指し、それが江戸に伝わった。銚子や野田という江戸周辺で醤油造りが盛んになってからは醤油を用いた料理に変化したのがきっかけ。関東大震災の後に炊き出しとしてふるまった事でこの料理が全国的に普及した。おでんと並んで炊き出しの代表格に挙げられるのが豚汁であろう。色んな具材が入って栄養価もあり、味噌で味付ける豚汁は、どこかほっこりさせてくれる料理だという事で色んな炊き出しの場でふるまわれている。やはり災害地では温かい料理が恋しいもの。しかも味噌・醤油は、日本人がなじんだ味なのだからそれを食すと、ホッとした気分になれるのであろう。

ところで災害時を想定して色んな物資を自宅で備蓄しておくべしと日頃から政府は訴えている。阪神淡路大震災から30年目を迎えるにあたって被災を経験した阪神エリアの11の企業が共働で開発したものがある。フェリシモが展開する「みんなのBOSAIプロジェクトもしもしも」がそれである。今回発売された「みんなのBOSAI もしもしも備蓄でお守りKOBE BOX2」には、
・北アルプスの天然水仕立てふんわりごはん富山県産コシヒカリ200g
・鮭の塩焼き1切れ
・とうふとわかめのフリーズドライ味噌汁1個
・焼ビーフンこく旨塩1個
・5種野菜と白いんげん豆のスープ1袋
・3年おいしい神戸のクッキーバニラ1袋
・ネスレミロミルクinスティック1袋
・お肉屋さんのビーフシチュー1袋
・玄米ブレッド5枚入1袋
・16種類のやさいとくだもののジュース1本が入っている。
このうちの「とうふとわかめのフリーズドライ味噌汁」が六甲味噌製造所の商品で、つまり阪神淡路大震災を経験した同社がこのボックスに商品を入れる事で、30年前の災害時の記憶をもとにもしもの時の備えとして参加しているのである。

 阪神淡路大震災を経験した身からすれば、まず米の飯が恋しい。それを喉に通してくれる味噌汁も欲しい。まずはおにぎりと味噌汁_、その二つがあれば日本人は当面の飢えを凌げるように思う。そう考えると、フリーズドライ味噌汁は備蓄する食品群の第一等になるように思える。災害は遭遇しないにこした事がない。でも、もしもしもの時の事も考えておかねばならない。そんな時に役立つボックスが発売された意義はある。阪神淡路大震災30年後を機に、我々は災害時に何が必要かを考えるべきであろう。
(文/フードジャーナリスト・曽我和弘)

みんなのBOSAI もしもしも備蓄でお守り KOBE BOX2

<著者プロフィール>
曽我和弘
廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカと出版畑ばかりを歩み、1999年に独立して(有)クリエイターズ・ファクトリーを設立した。食に関する執筆が多く、関西の食文化をリードする存在でもある。編集の他、飲食店プロデュースやフードプランニングも行っており、今や流行している酒粕ブームは、氏が企画した酒粕プロジェクトの影響によるところが大きい。2003年にはJR三宮駅やJR大阪駅構内の駅開発事業にも参画し、関西の駅ナカブームの火付け役的存在にもなっている。現在、大阪樟蔭女子大学でも「フードメディア研究」なる授業を持っている。

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