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鍋物_、特に水炊きに欠かせぬのがポン酢である。和食の調味料(加工食品)の一つであるポン酢が、本来はドリンクだったのを知っているだろうか。そもそもポン酢とは、江戸時代にオランダから出島にもたらされたカクテルの一種。その由来はインドまで遡り、サンスクリット語で「5」を意味する「パンチャ」が語源。インドでは、5つの材料を使って作る胃薬としても用いられたドリンクを「パンチャ」と呼んでいた。それが17世紀に欧州へ伝わり、英国ではアルコールを使ったカクテル「パンチ」に変身した。フルーツをお酒やソーダなどに浸して作る「フルーツパンチ」(フルーツポンチともいう)がそれである。オランダに伝われば、それが「ポンス」になる。江戸時代は清国やオランダとしか国交がなかったので、当然日本へはオランダの「ポンス」が伝来した。ただその頃の日本には、食前酒の習慣がなかったので、「ポンス」は広まらなかった。出島で細々とオランダの船員などが飲んでいたようだ。寛政11年(1799)にオランダ通事・梄林重兵衛が書いた「梄林雑誌」にこんな件(くだり)がある。「和蘭の酒をポンスと云い、これを製するには焼酎一杯、水二杯砂糖宣きほどに入、肉豆蒄、香気あるために入」と。ちなみに肉豆蒄とは、肉桂(ニッケ)の事だと思われる。

ポン酢の歴史フルーツポンチ

 

ポン酢の歴史柑橘類

一度は消えかかっていた「ポンス」が、なぜか明治時代に復活を果たす。それも食前酒(ドリンク)ではなく、調味料として。調味料としての初出は、明治17年(1884)の東京横浜毎日新聞。そこには「又その売品は一切安売にて、其中橙には例のポンスに製することも出来るより気強く」とある。ここでは、「ポンス」とは江戸時代のような食前酒ではなく、橙を用いた柑橘系の搾り汁を指しているのだ。また明治26年(1893)の時事新報には、9月28日に〆鯖(しめさば)のワサビ醤油ポン酢が記載され、9月29日には鯛のちり鍋の作り方が載っていてそこにも「ポン酢」と書かれている。ここでは「ポンス」ではなく、「ポン酢」と書いているのだ。橙を用いた橙酢というのは、すでにあったと思われる。熱海の橙を瓶詰めして売っていたようで、「ぽん酢」はそれを洋酒屋で入手したものと伝えているのだ。普段、橙を入手するのが難しかった東京の人が洋酒屋で「ポン酢」(橙の搾り汁)を求め、ちり鍋に使ったのであろう。

ここで少し我々の認識を正しくしておかねばなるまい。我々は、醤油の入ったものをポン酢と誤解している。正しくは、柑橘系果汁とお酢を混ぜたものを「ポン酢」という。だから色は醤油色(茶色がかった黒っぽいもの)ではなく、黄色である。スーパーを3軒ぐらい回ると、時たま黄色っぽい色をした「ミツカンぽん酢」に出合うが、それが本来のポン酢だと思ってほしい。「ミツカン味ぽん」に代表される醤油の入ったタイプは、ポン酢醤油もしくは味付けポン酢と呼ぶのが正しい。オランダでの「ポンス」はレモンを用いていたが、その昔、日本にはレモンがなく、九州では橙が多かったので「ポン酢」には橙の搾り汁を用いていた。橙はみかんと違って木から落ちないので甘みも増し、すっぱさもやわらぐので「ポン酢」に適していたようだ。
では、どこでポン酢に醤油が入ったのだろう。古くから長崎では、醤油の入った漬けダレを「ポン酢」と呼んでいたそう。また九州には橙醤油があって、甘め醤油に橙の手搾り汁を加えると程よい味になるという。四国には柚子・スダチがあって無意識にそれらを合わせて作っていたとの話もある。ところが、これらは昭和に入ってからの事ではないだろうか。いつどこで「ポン酢」に
醤油が入ったかはいくら調べてもわからなかった。

ポン酢の歴史ポン酢とポン酢しょうゆ

 

ポン酢の歴史水炊き

ポン酢が流行するのは、ミツカンが昭和39年(1964)に「ミツカンぽん酢味つけ」(昭和55年からは「味ぽん」という商品名に)を発売し、それがヒットした事によるのだが、それ以前にも鍋の漬けダレとしてその手のものが料理屋にはあった。古くは、大阪にちり酢というポン酢に似た漬けダレが存在しており、それはお酢とみりんと醤油を同割で作ったものだったらしい。関西はちり鍋の文化である。ふぐ、鯛、鱈などの魚介類に野菜を入れて煮る、味付きのだしではない鍋物をちり鍋と呼んでいる。そんなちり鍋の漬けダレにちり酢やポン酢が不可欠だったと思われる。大阪で「てっちり」が流行するのは、昭和30年(1955)に「づぼらや」がCMを流した事がきっかけ。大阪でのふぐ食解禁とて昭和16年(1941)の話なのでさほど古いものではない。ならば、ポン酢流行は、「味ぽん」の発売がきっかけというのは正しい見方なのだろう。
ちなみに「味ぽん」発売のきっかけは、昭和30年代に遡る。ミツカンの7代目・中埜又左衛門が博多で宴会に招かれ、そこで出ていた鶏の水炊きを味わったのが事の発端。その漬けダレ(ポン酢)に感激した事によって商品化が芽生えた。中埜又左衛門は、「この手の調味料を開発すれば、家庭でも美味しく鍋料理が楽しめるはず」と思いつき、会社に帰ってポン酢の研究開発を命じた。配合の加減が難しく、いかにだし醤油の味を消し去るかが課題で、開発陣は料理屋通いをして研究の末、ポン酢醤油を商品化している。
前述したように関西はちり鍋文化で、関東はすき鍋文化である。なので関西では、すぐにポン酢が流行したが、関東ではなかなか広まらなかったようだ。平成9年(1997)に私が編集出版した「関西風味の本」でも関西と関東のポン酢消費量差を書いた記事が載っているくらいだ。つまり初めから味のついただしで煮込むすき鍋には、ポン酢の必要性を感じられなかったのでそうなっていたのだろう。それがいつしかちり鍋も関東圏で広まったためにポン酢が全国区になったものと思われる。ポン酢がいち早く関西で受け入れられた根拠は、昆布だしの鍋物(ちり鍋)の漬けダレにぴったりだし、柚子・スダチ・カボスなどの柑橘系も産地が西日本に集中している事も原因。淡い味付けのものには、ポン酢が合うとばかりに広まったものと思われる。そういえば、昭和39年にミツカンが新発売した「ミツカンぽん酢味つけ」も当初は関西のみの試験販売であった。

蛇足ながら、しゃぶしゃぶも関西発祥の料理である。民芸運動家の吉田璋也が中国で「シュワンヤンロウ」という料理を食べ、その話を伝えて「十二段家」(京都・祇園)で作ったのが牛肉の水炊き。それが関西に広まり、永楽町(大阪)の「スエヒロ本店」がしゃぶしゃぶと名づけたといわれている。そんなしゃぶしゃぶにもポン酢は必需品で、ポン酢とゴマダレが一緒に漬けダレとして提供されるものと相場は決まっている。家庭でもそうして食べるのだろうが、実はゴマダレは市販品よりも家庭で調合する方が旨い。作り方は簡単で、ゴマペースト1に白味噌1を合わせ、それを出汁で少し延ばし、ポン酢で味を締める。市販品だと、味が濃すぎてしまうが、自分で作るなら調整も可能。鍋の最後のうどんまで実に美味しく食せるのだ。一度お試しあれ。
(文/フードジャーナリスト・曽我和弘)

 

ポン酢の歴史ごま味噌だれ

<著者プロフィール>
曽我和弘
廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカと出版畑ばかりを歩み、1999年に独立して(有)クリエイターズ・ファクトリーを設立した。食に関する執筆が多く、関西の食文化をリードする存在でもある。編集の他、飲食店プロデュースやフードプランニングも行っており、今や流行している酒粕ブームは、氏が企画した酒粕プロジェクトの影響によるところが大きい。2003年にはJR三宮駅やJR大阪駅構内の駅開発事業にも参画し、関西の駅ナカブームの火付け役的存在にもなっている。現在、大阪樟蔭女子大学でも「フードメディア研究」なる授業を持っている。

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