日本の文化を見直そうvol.28 ~引越蕎麦の習慣は江戸市中から流行。今でも向こう三軒両隣りには挨拶を~
引越しの挨拶はなぜ蕎麦なの?
近所に家が建った。どうやら1ヵ月くらい前に引越して来たらしいが、その住民から挨拶がないのでどんな人が転居して来たのかわからない。表札もないから名前もわからず、最近の家は窓もほとんどないので人のいる気配さえ伝わらない。車庫に車が入っているので人が住んでいるのだろうが、時折り三階くらいの小窓から漏れる灯りぐらいが住んでいる様相を伝えるに至っている。昔は、転居して来たら引越蕎麦を配って挨拶に訪れるのが習わしだったが、今や引越蕎麦は転居者家族が新居の夕食で食べるものになっている。細く長くの意から「これから末永くお世話になります」と配ったのは、今や古えの習慣になりつつある。


そもそも引越蕎麦が習慣化されたのは、江戸中期の頃らしい。天明期(1781~1789年ごろ)に江戸市中で流行った。丁度今の大河ドラマ「べらぼう」の時期にあたるのだろう。それまでは長屋などでは「生活音が漏れて迷惑をかけるから」と言って餅や小豆の粥を配って挨拶していたらしい。小豆粥を配るのでは挨拶にしても丁寧すぎるのでもう少しお金がかからないものはないかとなって当時安価で食せた蕎麦を配るようになった。天保6年(1835)に出た「街廼噂(まちのうわさ)」には「二八そば二つ、三十二文と安あがり」と書かれている。配る相手は、長屋の大家や差配人(今でいう管理人)などで蒸籠(せいろ)5枚ずつ配ったようだ。こんな風習から今でも向こう三軒両隣りの計5軒に配るようになっている。ただ引越蕎麦を配る習慣はどうやら江戸のみで上方にはなかったらしい。江戸中期から江戸の町で常態化し、明治・大正には当たり前のものになっていたようだ。近所の蕎麦屋では、転居に関して心得たもので依頼があれば大家に2枚、向こう三軒両隣りに5枚と蕎麦を配達した。明治の終わり頃には、さらにシステム化が進み、蕎麦切手なる食券を発行して配ったという。いきなり持って行って食べ切れなくても困るだろうと、いつでも使える食券にしたというのだからなんか大きなお世話のような感じも否めなくもない。ここまで来れば蕎麦屋の新たな営業手段にも感じ取れる。引越蕎麦の習慣も時代と共に薄れて行き、昭和に入って満州事変(1931年)の頃には一般的でなくなったというから昨日今日の出来事ではないようだ。
今の引越蕎麦は、細く長くのつきあいを示して近所に挨拶がてらに配るものではなくなっており、むしろ引越を手伝ってくれた親類や友人と一緒に、または家族で新居に入るのを祝って食べるものになりつつある。近所に挨拶と共に配るものもタオルや洗剤といった日用品に様変わりしている。
元来、蕎麦は食文化の歴史上古い存在ではない。いや、ここでは“蕎麦切り”がというべきだろう。蕎麦自体は、「続日本紀」(奈良時代)にも出て来るが、ここでの蕎麦は現代の私達が思う姿ではない。昔は蕎麦の実を砕いて湯でこねた、いわゆる“蕎麦がき”が蕎麦だったのだ。今の蕎麦の形を成すタイプは、“蕎麦切り”と呼ぶもので、それが確認できるのは安土桃山時代。天正2年(1574)の定勝寺(長野県木曽郡大桑村)の寄進記録が最も古い。江戸時代に入って市中で蕎麦(蕎麦切り)が流行するのは醤油の普及がきっかけ。野田や銚子で醤油が造られ、つゆに漬けて食べるスタイルが広まった事による。それまでは意外にも味噌ダレで食べていたらしい。煮込んだ味噌を布袋に入れて吊るし、垂れて来る汁をつゆにした。いわゆる煮貫(にぬき)と呼ばれるもので、江戸初期に発刊された「料理物語」には「味噌五合、水一升五合、かつほふし(鰹節)入れ煎じ、袋に入れたり候、汲返し汲返し三辺漉してよし」と載っているのだ。この煮貫が、やがて江戸市中で醤油が流行すると共に醤油を用いたつゆに取って替わられた。


ところで話は引越の挨拶に戻るが、某調査では近所へ挨拶に回る人は平成になってからぐっと減ってしまい、令和の世になって6割ぐらいに落ちてしまった。それでも半分以上の人が挨拶に回っているのだから捨てたもんじゃない。江戸期の例よろしく、向こう三軒両隣りの計5軒には欠かさぬ方がいい。現代はマンションタイプが多く、それなら上下左右らしい。挨拶のタイミングは、荷物が届く前ぐらいが適切のようで「引越につき、何かと騒がしく音が出ますので」と訪ねるべき。流石に現代では蕎麦を配る向きはないだろうが、「生活音が漏れて迷惑をかける恐れがあるから」と言ってちょっとしたものでも配っておく方が長いつきあいになるのだから、もらう方も気がいいかもしれない。「何を持って行けばいい?」と頭を悩ますのなら六甲味噌製造所に「手みやげ」なるちょっとしたギフト品もある。風呂敷風の包装で“心ばかり”と記した熨斗のようなメッセージも付いている。金額も2000円弱からと安価で、これなら受け取る方も大層に思わなくていい。フリーズドライ味噌汁や味噌ダレならば長持ちするので保存にも適している。こんなギフトも活用して日本に古くから根づく文化を守って行くのもいいのではなかろうか…。
(文/フードジャーナリスト・曽我和弘)
<著者プロフィール>
曽我和弘
廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカと出版畑ばかりを歩み、1999年に独立して(有)クリエイターズ・ファクトリーを設立した。食に関する執筆が多く、関西の食文化をリードする存在でもある。編集の他、飲食店プロデュースやフードプランニングも行っており、今や流行している酒粕ブームは、氏が企画した酒粕プロジェクトの影響によるところが大きい。2003年にはJR三宮駅やJR大阪駅構内の駅開発事業にも参画し、関西の駅ナカブームの火付け役的存在にもなっている。現在、大阪樟蔭女子大学でも「フードメディア研究」なる授業を持っている。