日本の文化を見直そうvol.23 ~平安時代でも愛されていた白味噌の甘み~

夏のスイーツといえば、かき氷だろう。冷蔵庫がない時代は、夏の氷は貴重品。今のように人工的にできるわけでもないのだから当然氷室(ひむろ)を使って備蓄しておいた氷を食べたわけだ。
平安時代中期に清少納言が書いた「枕草子」にかき氷の記述が出て来る。文中には「あてなるもの(中略)削り氷に甘葛(あまずら)入れて新しき鋺(かまなり)に入れたる」と書かれているようだ。これが現在見つかっているかき氷の最も古い文献である。
ここでいう「あてなる」とは上品なものの意。「甘葛」とは、奈良時代から室町時代に使われた甘味料で、蔓草の樹液とか甘茶蔓の汁だと思われる。「鋺」とは酒や氷などを盛る金属製の椀を指す。この頃は、甘い調味料は少なくて甘葛・蜂蜜・水飴がせいぜい。なので甘葛も貴重なら、夏の氷も希少。余程身分の高い人でなければ口に入れる事はできなかったであろう。
NHKで大河ドラマ「光る君へ」を観ていると、ファーストサマーウイカが演じる清少納言が、一条天皇の中宮・藤原定子(ドラマでは高畑充希が演じている)に仕えている。そんな関係性からしても清少納言は、かき氷を食する機会があったのだと思える。
昔は、甘いものが貴重品で贅沢品。そんな傾向は平安時代だけではなく、戦後まで続いている。
九州に行くと醤油ですら甘いが、やはり南の地は、甘さを好む傾向が強く、甘さが贅沢品に繋がっているのであろうか。嵯峨野の清涼寺へ赴くと、境内であぶり餅が売られている。私も何度か、このあぶり餅を取材した事がある。
あぶり餅は、きな粉をまぶした親指大の餅を竹串に刺して炙ったもの。白味噌のタレを塗って提供する。あぶり餅は、何も清涼寺境内だけの名物ではない。北区にある今宮神社の参道に「一和」と「かざりや」があってそこのあぶり餅がいいと言う人もいる。
あぶり餅は、一文字和助が香隆寺の名物だった勝餅を今宮神社の神殿に供えたのが始まりとされ、「一和」は平安時代からやっていると聞くから驚く。
一条天皇の御世に都で疫病が流行り、紫野の厄神を再興した。その頃からあぶり餅は、厄除けの菓子と呼ばれていたらしい。あぶり餅は、一口サイズで小ぶりながら焦げめがしっかりついている。白味噌の味が上品で、いかにも京都らしさが漂う。


今でこそ赤味噌と並んである白味噌だが、その発祥は京都だといわれている。
味噌は中国から伝わったのだが、その時代のものは醤(ひしお)で、今の味噌とはちょっと違う。
平安期(701年)の「大宝律令」に「未醤」(みしょう)なる文字が見られる。これが味噌のルーツといわれている。
中国の醤を日本で工夫して独自の製法によって造られた_、それが今の味噌なのだ。
平安時代には、すでに白味噌が存在していた。当時貴重だった米を贅沢に使う白味噌は、貴族間で食されていたようで、甘さがある事から贅の極みと思われていた。
白味噌が甘いのは、糀の量が多く、塩分が少ないから。大豆に対して糀が二倍ほど入っているために甘さを有すのだ。京都には、白味噌の甘さを用いた菓子がちらほら見られる。それらも伝統の和菓子ばかりである。
現代なら白味噌の風味をアイスクリームに用いるのも面白い。
「六甲味噌製造所」では、昨夏に夏向け商品として「白味噌あいすくりーむ」を展開した。
「芦屋そだち白味噌」をアイスクリーム製造所に渡し、コラボして仕上げたそう。
聞くと、昨夏大好評で今年も売り出すのだとか。白味噌の風味は平安の昔から受け入れられる甘さを持っており、今もなお愛されている味なのだろう。
(文/フードジャーナリスト・曽我和弘)
<著者プロフィール>
曽我和弘
廣済堂出版、あまから手帖社、TBSブリタニカと出版畑ばかりを歩み、1999年に独立して(有)クリエイターズ・ファクトリーを設立した。食に関する執筆が多く、関西の食文化をリードする存在でもある。編集の他、飲食店プロデュースやフードプランニングも行っており、今や流行している酒粕ブームは、氏が企画した酒粕プロジェクトの影響によるところが大きい。2003年にはJR三宮駅やJR大阪駅構内の駅開発事業にも参画し、関西の駅ナカブームの火付け役的存在にもなっている。現在、大阪樟蔭女子大学でも「フードメディア研究」なる授業を持っている。